「羽村取水堰」は、多摩川の水をせき止め玉川上水に取り入れるための堰です。羽村取水堰は、その美しさから「羽衣の堰」とも呼ばれていました。
玉川上水は承応2年(1653年)、江戸の人口増加に伴う水不足解消のため、江戸幕府が松平伊豆守信綱を総奉行として造られた用水です。
玉川上水は、羽村から新宿区の四谷大木戸まで約43kmあります。
玉川庄右衛門・清右衛門兄弟は、測量技術の未発達な時代に、約43kmの水路をわずか8ヶ月余りで完成させました。その功により「玉川」の姓が許され、武士と同身分の扱いになりました。
羽村取水堰に玉川兄弟の銅像が建立されています。
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