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花と器のハーモニー2017 その2 (H29.5.29)

エリスマン邸


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸

エリスマン邸

エリスマン邸は、花芸術家:日向雄一郎の作品です。


テーマは「花ゆるり」です。



エリスマン邸


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸


作品の紹介

花とともにある空間。


そこに佇んだとき、静かな心地よさを感じていただくこと。

私たちの願いと想いは、そこに込められております。

季節の旬をとりあわせ植物が赴くままにかろかろと花をそえ、HINATA IKEBANA STADIOが手掛ける空間を整えて、皆様のお越しをお待ちしております。


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸

日向雄一郎

祖父と父に生花を学ぶ。

花といけることの本質と向き合い、植物が織りなす「間」を紡ぎ出し、独自の視点でいけばなの住処を提案。日本が育んできた花文化をいまの時代に創造するために、新時代のいけばな師範は「花美術家」という独自のポジションを築き、現在に至る。



エリスマン邸



エリスマン邸


エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14年(1925年)から大正15年(1926年)にかけて、山手町127番地に建てられました。

設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸

創建当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。

煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった洋風住宅の意匠と、軒の水平線を強調したなど、
木造モダニズム的要素を持っています。

設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F..ライトの影響も見られます。



エリスマン邸


昭和57年(1982年)にマンション建築のため解体されましたが、平成2年(1990年)に元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。

1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。

椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。

また、地下ホールは貸し出しスペースとして、昔の厨房部分は、喫茶室として利用されています。


横浜市認定歴史的建造物に指定されております。


エリスマン邸


山手234番館


山手234番館



山手234番館



山手234番館

山手234番館

山手234番館は、日本フラワーデザイン専門学校の作品です。

テーマは「道」です。



山手234番館



山手234番館


作品の紹介

昭和30年代、山手234番館は4戸のアパートとして利用されていました。

現在は優しく出迎えるアットホームな雰囲気のダイニングルーム、明るく開放感のあるギャラリーとなっています。そこで過ごされた方々の日々と想いを、未来に繋がる山手234番館を「道」と題し、学生の若く自由な発想で空間を演出しました。


山手234番館



山手234番館



山手234番館



山手234番館

日本フラワーデザイン専門学校

本校では、フラワーデザインを学びたいとする学生が、フラワーデザインの理論・実技をはじめ、花の文化、美術やデザイン構成など幅広い授業に取り組んでいます。

フラワーデザインを学び1年足らずで学生が力を合わせて作り上げたデザインです。若い学生のエネルギーを感じて頂けたら幸いです。



山手234番館



山手234番館


山手234番館は、昭和2年(1927年)頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。

ここは関東大震災の復興事業の一つで、関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための建設された経緯があります。

設計者は、隣接する山手89−6番館(現在のえの木てい)と同じ、朝香吉蔵です。


山手234番館



山手234番館



山手234番館



山手234番館

建設当時の施設は、4つの同一形式の住宅が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。

各住戸の3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめら、往時の「モダン」な生活様式が窺えます。


また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。



山手234番館


第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元年(1989年)に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。

平成9年(1997年)から保全改修工事を行い、平成11年(1999年)から一般公開しています。

1階は再現された居間を中心に山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとして、ギャラリー展示や会議等に使用されています。

横浜市認定歴史的建造物に指定されております。


山手234番館


べーリック・ホール


べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール

ベーリック・ホールは、FLOWERHYTHM Natsu・曽我部翔・日向雄一郎・野崎晶弘の作品です。

テーマは「〜Kily ETERNAL〜」です。



べーリック・ホール



べーリック・ホール


作品の紹介

3人のフローリストそれぞれの想いと感性、真心が重なり ひとつの極上の空間が生まれます。

風を受けて揺れる姿がまるでウエディングドレスを着た花嫁の姿に重なるユリノ花。

永遠お幸せを願い、ユリたちがもてなす異空間へ皆様をご招待いたします。


べーリック・ホール



べーリック・ホール

Natsu・曽我部翔・日向雄一郎・野崎晶弘

結婚式を決める時、一番最初にフローリストを決めるウェディングの革命。

それがフラワリズムです。選ばれしフローリストが創る最高の花の空間。

フラワリズムが目指すもの。それはラストシーンで涙を流すのではなく、会場に入った瞬間のファーストシーンで感動が生まれること。

『フラワリズムのある人生を選びませんか?』



べーリック・ホール



べーリック・ホール


ベーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.べリック氏の邸宅として、昭和5年(1930年)に設計されました。

第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31年(1956年)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12年(2000年)まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。


べーリック・ホール



べーリック・ホール

現存する戦前の山手外国人住宅の中では、最も規模の大きな建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。

モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残しています。


約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。



べーリック・ホール



べーリック・ホール


内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、アルコーブや化粧張り組天井が特徴のダイニングルーム、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復原されていることなど、建築学的にも価値のある建物です。


べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール

平成13年(2001年)横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14年(2002年)から建物と庭園を公開しています。



べーリック・ホール



べーリック・ホール


アクセス

山手111番館、イギリス館:みなとみらい線元町駅から徒歩約10分

外交官の家、ブラフ18番館:JR根岸線石川町駅から徒歩約5分


入館料

花と器のハーモニーは全館無料です。


べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール


関連するホームページ


 横浜山手西洋館


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