散策スポット:東京23区

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坂本龍馬展 (H29.6.2)


坂本竜馬等身大像



黒船ねぶた

目黒雅叙園の百段階段で「坂本龍馬展:土佐から龍馬が来たぜよ!〜高い志を持って〜」が開催されています。期間は6月1日(木)〜6月25日(日)です。

坂本龍馬(1835〜67年)は土佐に生まれて28歳で脱藩。


天下国家のために命を懸けてきましたが、今から150年前に京都・近江屋で凶刃に斃れました。

幕末という幕藩体制の終わりに、浪士として動き、新しい国家づくりを考え続けた坂本龍馬には、土佐の「海援隊長」という肩書きしかありません。

しかし、没後150年を経った今も、坂本龍馬を慕う人々はあとを絶ちません。


十畝の間


十畝の間の展示



十畝の間の展示


そんな坂本龍馬の故郷土佐にある高知県立坂本龍馬記念館。

龍馬に触れ、知り、語り合う場として多くの方に親しまれてきました。

龍馬没後150年の今年、記念館は新館建設と既存館全面リニューアルのため、1年間休館しています。

このため、この機会に記念館から出かけていこうと、国内会場での巡回展を開催することになりました。

その東京会場が目黒雅叙園です。


坂本龍馬生家ジオラマ



一弦琴



龍馬が着用した紋服、袴(複製)



龍馬写真ガラス湿板(複製)

土佐から来たぜよ

高知城下で生まれた坂本龍馬。


19歳で剣術修行のため江戸留学へ。

帰国後再留学。



父八平から龍馬宛「修行中心得大意」(複製)



 姉乙女宛 龍馬書簡(24歳)(複製)


新天地での出会いや驚きを家族に知らせたのかもしれませんが、脱藩前の現存する手紙は僅かしかありません。

帰国前に姉・乙女に宛てた手紙には「金がない」と漏らしていた龍馬らしい言葉が見られます。

若き日の青年龍馬がここにいます。


田中良介宛・借用証文(27歳)(複製)


漁樵の間


公文菊僊:坂本龍馬肖像画



姉乙女宛 脱藩後最初の龍馬書簡(29歳)(複製)



姉乙女宛 龍馬書簡(29歳) 日本のせんたく(複製)



高松太郎宛 竜馬書簡(32歳) 池内蔵太をユニオン号に(真物)

脱藩!ニッポンを洗濯したい

27歳の龍馬は武市半平太を盟主とした土佐勤王党に加盟しました。

しかし、土佐を脱藩。


その後出会ったのが、生涯の師となる勝海舟。

海防の必要性を説く海舟に師事しながら視野を広げていきました。
「日本を洗濯したい」という手紙もこの頃綴られたものです。



下関合戦図 坂本龍馬(32歳)(複製)



木戸孝允宛 薩長同盟裏書き(龍馬32歳)(複製)


龍馬は国のため天下のために尽くそうと「志」高く動きます。

そうして倒幕のため、「薩長同盟」に向かっていきます。


長州藩品川省吾宛 龍馬書簡(32歳)第2次長州戦争前日(複製)


草丘の間


川原塚茂太郎宛 龍馬書簡(29歳) 跡取り問題に関する手紙



龍馬の脇差(真物)



海援隊約規(真物) 龍馬33歳



和英通韻以呂波便覧

世界へ!揺れる思い

天下国家のために動く龍馬にとって故郷土佐、そして家族のことはいつも心にありました。

「40歳までは、国事に専念させてほしい」という龍馬に、兄の「家督を継いでほしい」という気持ちは消えません。

自らの志と家族を思う気持ちの間で龍馬は揺れていました。



溝渕廣之丞宛 龍馬書簡(32歳) 土佐藩復帰のカギとなる手紙



万国公法



いろは丸事件始末記


龍馬は無名の浪士。
唯一の肩書きは海援隊長です。

ここでは海援隊のご紹介もしています。

中でも「海援隊規約」は、龍馬の考え方と方向性を明確に表しています。

また海援隊時代の龍馬をしる国沢新九郎による龍馬肖像画もあります。

油彩画の草分けともいえる新九郎の描く骨太の龍馬こそ、海援隊長龍馬の姿です。


国沢新九郎画 坂本龍馬肖像油彩画


静水の間


伏見奉行報告書(写し) 寺田屋で龍馬を襲った側である奉行所が京都所司代に書いた報告書



月琴 この月琴を所有していた小曽根家に海援隊本部が置かれていた

妻、お龍

龍馬は亀山社中時代、倒幕のために犬猿の仲であった二大雄藩、薩摩と長州の仲を取り持ち、「薩長同盟」を結ばせました。

その2日後、京都伏見の「寺田屋」で長府藩士・三吉慎蔵と共に襲われます。
そのとき危機にいち早く気づき、命を救ったのが、運命の女性・お龍でした。

この1件からお龍を妻として披露し、薩摩へと旅行に出かけます。
これは日本で初めての新婚旅行だともいわれています。



乙女宛 龍馬書簡(32歳) 新婚旅行の報告(複製)



龍馬里謡(33歳) (複製)


龍馬はお龍のことを「おもしろい女」だと姉・乙女に紹介し、お龍は龍馬のことを「妙な男」だと後に言っています。

変わり者同士かもしれませんが、お互いを信頼し愛し合っていた二人です。


龍馬は右の拳銃を高杉晋作から貰ったが、寺田屋の乱戦の中で指を負傷し、拳銃を捨てて逃げました。このため龍馬が所持していた拳銃は現存していません。


ピストル(模型)U型 
龍馬が寺田屋で襲撃を受けた際に使用したものと同じモデル


星光の間


お龍宛 龍馬書簡(33歳) いよいよ大政奉還(複製)



大政奉還の決する日。二条城へ登城する後藤宛の激励の龍馬書簡(草庵)(真物)



後藤象二郎宛 龍馬書簡(草庵・33歳) 越行の記(真物)

ニッポンの夜明け

国家の政を幕府から朝廷に返上し、新しい国を作りたい・・・・龍馬は、新しい時代の在り方を探っていました。

「船中八策」という大政奉還と新国家建設に向けた案を、土佐の参政・後藤象二郎に提案します。龍馬が書いて残るのは「新政府綱領八策」です。そこには、次世代の人材登用の方法、憲法の制定、国際条約の規定など、先の世界を見据えた、新しい日本の在り方が記されていました。



新政府綱領八策(複製)


後藤は「船中八策」を旧土佐藩主・山内容堂に進言し、容堂は徳川慶喜に建白します。

今から130年前の10月13日、慶喜は京都二条城に各藩の重役を集めます。
いよいよ大政奉還か否か。

龍馬は登場する後藤に「命がけで臨め」と強い口調で迫ります。
その檄文と、大政奉還発表後の「越行きの記」を展示しています。

「越行きの記」では新しい日本の財務担当は三岡八郎(由利公正)を置いて他にないと、明るい口調で語っています。


姉・乙女宛最終便 龍馬書簡(33歳)(複製)


清方の間


 陸奥守吉行(刀) 龍馬は近江屋でも吉行の刀を所持していた 龍馬の刀と同じ刀工の作品



陸奥宗光宛 龍馬書簡 暗殺2日前 現存する最後の手紙



陸奥宗光宛 龍馬書簡 暗殺9日前

サラバ、龍馬

150年前の慶応3年、11月15日。
滞在していた「近江屋」にて、龍馬は暗殺されます。

大政奉還を果たしてから、わずか1ヶ月後の出来事でした。

暗殺の真相は未だ謎に包まれていますが、多くの歴史研究家やファンが、その死の謎を解き明かそうと止みません。



近江屋



龍馬暗殺の再現


今回は龍馬が学んで北辰一刀流を現代に伝える「北辰一刀流・玄武館」による、<龍馬暗殺への七手>を、推察再現してみました。

障子に写る影絵作品としてご覧下さい。


近江屋


頂上の間


江本象岳 志士たちの群像



坂本龍馬等身大の写真


受け継がれる「志」

龍馬は新しい時代を切り拓くための確固たる志を持っていました。

その志はさまざまな形で今に伝えられ、多くの人が龍馬の志に心を動かされています。



関連のホームページ


 目黒雅叙園百段階段


     風来坊



坂本家八代目の坂本直行の作品


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