渡良瀬遊水池の歴史
1000年前の渡良瀬川は、桐生川、秋山川などの支川を合わせ藤岡地先で台地に沿って板倉町との境を流れ、海老瀬の七曲がりを過ぎ、谷田川、思川を合流し茨城県五霞町の中央を流れて、かつての庄内古川筋(現中川)を通り、金杉、松戸、市川を過ぎ、現在の江戸川の河道を流れて江戸湾に注いでいました。
徳川家康が江戸に入り、政治経済の中心となり、関東平野の開発が始まり、利根川も江戸湾に流れていたものを銚子の太平洋に流れるように付け替えました。これを利根川の東遷と言いますが、これにより元和7年(1621年)利根川を渡良瀬川に流す新河道が開削され、これにより渡良瀬川は利根川最大の支川となりました。さらに栗橋から常陸川の間の台地も新たに開削し、現在の利根川がつくられたのです。
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