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野木散策(渡良瀬遊水池) (H29.5.19)


野木市郊外



JR野木駅

5月19日(金)にJR東日本の駅からハイキング「招福のまち 野木めぐり〜歴史と自然満喫コース〜」に参加しました。

コースの概要は次の通りです(約13.5km)

野木駅のぎ水辺の楽校野木神社野木町煉瓦釜・野木ホフマン館野渡橋東谷中橋渡良瀬遊水池満福寺古河駅



のぎ水辺の楽校


スタートはJR東北線野木駅です。野木駅から北西方向に200mほど進んだ交差点を左折し、町並みを抜けるとのどかな田園風景が広がってきます。「野木町ひまわりフェスティバル」の会場の近くも通過します。

野木駅から約3kmで最初の散策スポット「のぎ水辺の楽校」です。

のぎ水辺の楽校は、渡良瀬遊水地の湿地帯に自然体験できる場として整備された空間です。湿地環境に生きる植物や生き物を間近に見、ふれあうことができる貴重な場所です。遊水池をぐるりと廻れる遊歩道や湿地の中を通る木道が整備されています。


のぎ水辺の楽校



のぎ水辺の楽校



のぎ水辺の楽校

毎年6月中旬には「ホタルまつり」としてホタル鑑賞会が開催されます。

暗闇に数多くのホタルが飛び交う幻想的で、非日常的な時間が体験できると人気です。

また、9月には渡良瀬遊水で発見された、「ワタラセツリフネソウ」の可愛らしい花も見られるとのことです。



野木神社


のぎ水辺の楽校から約800mで野木神社です。

野木神社は約1600年前、仁徳天皇の時代の建立といわれています。

坂上田村麻呂が延暦21年(802年)にここに詣で、勝どきをあげたと伝えられています。田村麻呂は、蝦夷の反乱を抑えられたのは「神の助け」として、そのお礼に社殿を新築し、宮地を現在の場所に定めたとのことです。


野木神社



旧下野煉化製造会社煉瓦窯(通称:野木町煉瓦窯



野木町煉瓦窯



野木町煉瓦窯

鎌倉時代になると、源頼朝が社領として田地を寄付したり、源実朝が神馬を奉納するなど、源氏の信仰が厚かったようです。

江戸時代には、古河藩主の崇敬も厚く、現在の社殿は、文政2年(1819年)に土井利厚によって再建されたものです。

江戸時代の画家、谷文晃作の黒馬繋馬図絵馬や野木大将が奉納した指揮刀が残っています。また、境内には芭蕉の句碑もあります。

「一疋(いっぴき)のはね馬もなし河千鳥」



野木町煉瓦窯


野木神社から約1kmで、「野木町煉瓦窯・野木ホフマン館」です。

野木町煉瓦窯は通称で、正式名称は「旧下野煉化製造会社煉瓦窯」です。

野木町煉瓦窯はホフマン式の煉瓦窯で、明治23年(1890年)に建造されました。

外形は16角形、高さ約34m、周囲は約100mです。


野木町煉瓦窯



野木町煉瓦窯



野木町煉瓦窯



野木町煉瓦窯

この煉瓦窯には16の窯があり、1つの窯で1回に約17,000本、全ての窯を連続して使用した場合には約27万本の赤煉瓦を生産することが可能でした。

明治23年(1890年)から昭和46年(1971年)までの約80年間、多いときは月408,000本もの赤煉瓦を生産し、日本の近代化に貢献しました。



野木町煉瓦窯


野木町煉瓦窯


また、この煉瓦窯は創業時から120年以上経過した現在においても、ほぼ原型のままで存在しており、建造物として価値が高いものです。

昭和54年(1979円)に国の重要文化財に指定され、さらに平成19年(2007年)には、「近代化産業遺産群」の一つに選定されました。

煉瓦窯を未来に残すための修復工事が終了し、平成28年5月10日(火)にグランドオープンしました。


野木町煉瓦窯



野木町煉瓦窯



野木町煉瓦窯



野木ホフマン館

野木ホフマン館(生涯学習課交流センター)、野木町煉瓦窯に隣接した建物で、ありのままの自然や文化・歴史を学習、体験できるスポットです。

ここからレンタルサイクルで遊水池や近隣寺社を散策したり、体験学習施設で手作りピザを楽しむこともできます。



渡良瀬遊水池の堤防


「野木町煉瓦窯・野木ホフマン館」から約800mで「野渡橋」です。

野渡橋は渡良瀬遊水地の東南端、渡良瀬川に架かる道路橋です。

野渡橋の上流では思川が渡良瀬川の左岸へ合流しています。架橋地点が遊水地内であることから、橋の形態は潜水橋である。欄干はなく、高さ25cmの地覆が設けられています。


野渡橋を渡ると渡良瀬遊水池の土手の外側のエリアとなります。
青々とした平原が広がっていますが、土手が高いため渡良瀬遊水池の様子はよくわかりません。


渡良瀬遊水池東谷中橋



渡良瀬遊水池の中央を横切る真っ直ぐな道路 2.2kmあります



渡良瀬遊水池 南東方向の光景 遙か前方のビルは古河市



渡良瀬遊水池 西方向の光景



渡良瀬遊水池

野渡橋から約500mで土手の上に出ることができ、さらに1mほど進むと「東谷中橋」です。

駅からハイキングのコースは「東谷中橋」から渡良瀬遊水池を適宜散策し、「東谷中橋」に戻りUターンして、満福寺経由で古河駅に向かうコースになっていましたが、今回は渡良瀬涌水池を対岸に渡り、古河駅に向かうコースを選択することにしました。

渡良瀬遊水池は、明治23年(1890年)の洪水以後、渡良瀬川沿岸は足尾銅山の鉱毒被害を受け大きな社会問題となり、鉱毒防止対策と利根川・渡良瀬川の治水を目的に昭和5年に完成しました。


渡良瀬遊水池の概要

渡良瀬遊水地へ流入する渡良瀬川は、群馬・栃木の県境にある皇海山(2143m)に源を発し、いくつもの渓流を合わせながら、大間々付近で山峡の地を離れ、以後桐生市、足利市の中心部から南東に流れ栃木市を通り、茨城県古河市で利根川本流へと注いでいます。流路延長107.6kmの利根川水系最大の支川です。

渡良瀬遊水地は、栃木県の南端に位置し、栃木、群馬、埼玉、茨城の4県にまたがる
面積33平方キロメートル(東京ドームの約700倍)、総貯水容量2億立方メートルの日本最大の遊水池です。


渡良瀬遊水池 中の島



渡良瀬遊水池 中の島



渡良瀬遊水池 中の島



渡良瀬遊水池 中の島



渡良瀬遊水池 中の島

渡良瀬遊水池の歴史

1000年前の渡良瀬川は、桐生川、秋山川などの支川を合わせ藤岡地先で台地に沿って板倉町との境を流れ、海老瀬の七曲がりを過ぎ、谷田川、思川を合流し茨城県五霞町の中央を流れて、かつての庄内古川筋(現中川)を通り、金杉、松戸、市川を過ぎ、現在の江戸川の河道を流れて江戸湾に注いでいました。


徳川家康が江戸に入り、政治経済の中心となり、関東平野の開発が始まり、利根川も江戸湾に流れていたものを銚子の太平洋に流れるように付け替えました。これを利根川の東遷と言いますが、これにより元和7年(1621年)利根川を渡良瀬川に流す新河道が開削され、これにより渡良瀬川は利根川最大の支川となりました。さらに栗橋から常陸川の間の台地も新たに開削し、現在の利根川がつくられたのです。


利根川の支川となった渡良瀬川下流部一帯は、赤麻沼・石川沼、さらに板倉沼などがあり、地形的には周辺より一段と低く洪水が自然に遊水する大湿地帯でした。

その中央部の原野を開墾したのが谷中村で、周囲を堤防(囲堤)で囲まれた村でした。谷中村は明治22年(1889年)に成立しましたが、5年後には386戸、2302人の人口となりました。


渡良瀬遊水池



渡良瀬遊水池



渡良瀬遊水池



渡良瀬遊水池

渡良瀬遊水池の成立

明治23年、29年の洪水を契機に、渡良瀬川下流部の洪水被害とともに、足尾銅山から渡良瀬川に流れ出した鉱毒による被害が明確になりました。

これに対し、渡良瀬川の改修や最下流部に遊水地計画が打ち出されました。

当時、渡良瀬川は栃木県管理であり、明治37年県議会可決後、明治38年から明治40年までの間に930町歩余りが買収されました。その間、明治39年(1908年)には谷中村は藤岡町に合併廃村となりました。明治43年(1910年)には、内務省による改修事業が始まり、昭和5年(1930年)には渡良瀬遊水地が完成しました。



渡良瀬遊水池 前方の緑の部分が中の島



渡良瀬遊水池 前方は群馬県


その後、昭和10年、13年、22年と相次ぐ大洪水を契機に渡良瀬遊水地を、より効果的に活用するために、渡良瀬川、思川、巴波川に沿って、新しく囲繞堤や越流堤を設け、調節池化を図り、大きな洪水の時だけ調節池の中に川の水が入るようにし、従来よりも洪水調節機能を増大させる事業(調節池化事業)を実施しました。


渡良瀬遊水池



渡良瀬遊水池 遊歩道



ここから埼玉県です

東谷中橋より渡良瀬遊水池に入ると、前方に真っ直ぐな道路が伸びています。この道路は対岸までの約2.2km真っ直ぐに伸びているのです。道路の左右は樹木が生い茂っており、歩くのには涼しいですが、景観はいまいちの感じです。

しかしながら、所々で左右の水辺に降りて景観を楽しむことができます。


東谷中橋から対岸に向けて1.7kmほど進んだところが中の島です。トイレやベンチが整備されています。

中の島からそこから右方向(北西方向)に伸びている道路があります。この道路を北西方向に1.3kmほど進むと渡良瀬遊水池の周遊道路に出ることができます。



渡良瀬遊水池 遊歩道



渡良瀬遊水池


今回はそのまま真っ直ぐに500mほど進んで対岸に出て、南東方向に進み、古河駅に向かいました。

渡良瀬遊水池の南東に進む道路の外側の一段低い場所に遊歩道が設けられており、そこにはいろいろな草花が咲いていました。

対岸に出て南東方向に500mほど進むと栃木県と埼玉県の県境マークがありました。


渡良瀬遊水池 遊歩道



渡良瀬川と三国橋



三国橋



三国橋は埼玉県と茨意見の県境です

また、渡良瀬涌水池を出て古河駅に向かう途中で、渡良瀬川を渡りましたが、渡良瀬川に架かる「三国橋」には埼玉県と茨城県の県境マークがありました。

また、今回は行きませんでしたが、渡良瀬涌水池を渡った場所から北東方向に300mほど行くと、埼玉県と群馬県の県境でした。

早く気付いておれば4県を歩くことができましたが、残念でした。



永井路子旧宅



永井路子旧宅


渡良瀬遊水池から古河駅に向かう道筋に「永井路子旧宅」がありました。

以前古河の町並みを歩き「永井路子旧宅」を訪ねたことがありましたが、渡良瀬涌水池から古河駅に向かう道路沿いにあったとはびっくりでした。


永井路子旧宅



古河街角美術館



篆刻美術館



伊勢屋



上州屋履物店

この道筋には、「永井路子旧宅」のほかに、「古河街角美術館」「篆刻美術館」などが並んでいます。

また、近くには「古河歴史博物館」「鷹見泉石記念館」「古河文学館」がありますが、今回はパスしました。



         風来坊


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