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松本城
松本は、中世に信濃国府が置かれ、戦国時代から近世にかけて松本盆地の政治・文化・経済の中心地として発展してきた城下町です。 町中には城下町らしい、しっとり落ち着いた蔵の町並みがあり、見どころも多く、北アルプス観光の玄関口ともなっています。 この松本のシンボルは、北アルプスや美ヶ原高原の山並みを背景に威風堂々と立つ松本城です。
松本城は戦国時代の永正時代(1504年〜1521年)始めに造られた深志城が始まりです。 戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えていた信濃の守護小笠原氏が、館を東の山麓の林地区に移すと、その家臣らは林城を取り囲むように、支城を構えて守りを固めました。
深志城もこの頃に林城の前面を固めるために造られたのです。 その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領して信濃支配の拠点としました。 その後、天正10年(1582年)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名前を松本城と改めました。
豊臣秀吉は天正18年(1590年)に小田原城に北条氏直を下して天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。 この時松本城主小笠原秀正が家康に従って下総に移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じました。
黒門
石川数正。康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守三棟(天守・乾小天守、渡櫓)をはじめ、御殿、太鼓門、黒門、櫓、堀などを造り、本丸・二の丸を固め、三の丸に武士を集め、また城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。 天守の築造年代は、康長の文禄2年から3年(1593年〜94年)と考えられています。
天守は、幾たびかの存続の危機を、市民の情熱により乗り越え、400余年の風雪に耐え、戦国時代そのままに保存されています。 明治の大改修後の昭和11年に、国宝に指定されました。 姫路城、彦根城、犬山城とともに4つの国宝城郭の一つです。
天守
松本城は、戦闘に有利な山城が多く築かれた戦国時代にあって、異色の平城です。 天守は、5重6階の大天守を中心に、大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳付櫓、月見櫓を複合した複合連結式天守です。 戦うための黒い堅守な天守と、平和な時代になって造られた優雅な辰巳附櫓、月見櫓。 数々の優れた建築技術を今日に伝えています。
石落と狭間 天守閣では、戦国時代の主力武器であった鉄砲戦への様々な備えを見ることができます。 厚い壁には矢狭間・鉄砲狭間が合わせて25ヶ所あり、天守・乾小天守・渡櫓の1階には石落が設けられています。 石落は石垣を登ってくる敵を防ぐ工夫で、狭間と同じように鉄砲を使っての攻撃も可能な武備でした。
乾小天守と渡櫓
矢狭間・鉄砲狭間と石落
辰巳附櫓と月見櫓 泰平の世になって増築された辰巳附櫓と月見櫓 辰巳附櫓は天守の南東(辰巳)にあり、隣の月見櫓と一緒に寛永時代(1624年〜1643年)に造られた建物です。 1階は武者窓、2階は花頭窓。 花頭窓の内側には引分板戸があり、雨水を流す工夫がなされています。
月見櫓は月見をするための櫓で、北・東・南の舞良戸を外すと、三方が吹き抜けになります。 周り巡らされた朱塗りの回縁や船底形天井は、天守・渡櫓・乾小天守には見られない開放的な造りです。
二十六夜神
天守からの展望
月見櫓からの展望
丸太柱(乾小天守) 乾小天守の内部には丸太柱がたくさん使われています。 3、4階の12本の丸太柱も、城が最初に建てられた頃のもので、400年以上経っているとのことです。
特徴のある窓(天守2階) 天守2階は窓が多くて明るい階です。 堅格子窓(武者窓)が東、西、南の三方にあります。 4部屋に分けられていて、武士たちが詰めている武者溜まりだったと考えられています。
窓がない暗い部屋(天守3階) 天守閣は外からは五重に見えますが、内部は6階になっていて、この階は外からはわからないので、もっとも安全なため、戦のとき武士が集まるところでした。 光は南側の木連格子からわずかに入るだけで暗く、敵には秘密の階でした。
御座の間(天守4階) 書院造り風のこの部屋は、いざというときには、城主がいるところ(御座所)になりました。 天井が高く、四方から光が入ります。 柱はすべて松で、かんながかけられ、鴨居の上には小壁もあり、丁寧な造りになっています。
6階の登る階段(天守5階) 天守5階は重臣たちが戦の作戦会議を開く場所と考えられています。 ほかの階と比べて天井が高く4.54mもあり、そのため6階に上るこの階段にだけ踊り場が設けられ、階段が緩やかになっています。
最上階(天守6階) ここは戦の時、周りの敵の様子を見るところ(望楼)として使われました。 天井は井桁梁でがっちりと組まれています。 天井中央にまつられているのは、二十六夜神という松本城を守る神様です。
太鼓門
太鼓門 太鼓門は、天守閣築城の頃に築かれた松本城二の丸の正門です。 太鼓門枡形は、文禄4年(1595年)頃築かれ、門台北石垣上に太鼓楼が置かれ、時の合図、登城の合図、火急の合図等の発信源として重要な役割を果たしていました。 明治4年(1871年)に取り壊されて以来、石垣のみが残されていましたが、平成11年(1999年)3月に復元されました。
黒門 本丸に入る正門で、櫓門と枡形からなり、本丸防御の要です。 一の門(櫓門)は昭和35年(1960年)に復興し、二の門と袖塀は平成2年(1990年)に復元されました。
松本城の周辺は松本城公園として整備されています。 公園内は無料で散策できますが、本丸庭園と天守閣の観覧は有料です。 松本市立博物館は、明治39年(1906年)に開館した、100年を超える歴史を持つ博物館です。 重要文化財「孔雀文磐」を始めとして、11万点を超える貴重な資料を収蔵しています。 常設展示では、松本城を中心とした松本の歴史と、全国的に珍しい文化・行事が残る松本の民族を伝えています。
関連するホームページ 松本城 松本市立博物館 観覧料 600円 観覧料は松本市立博物館と共通観覧料です。
松本市立博物館
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