散策スポット・北海道東北

散策スポット目次

HOME

前ページ

次ページ

松本散策その2(旧開智学校、旧制松本高等学校ほか) (H23.8.24)

旧開智学校


旧開智学校



旧開智学校



旧開智学校

松本市は国宝松本城を中心とする城下町です。

幸いにも戦災を免れたことから、旧開智学校などの歴史的構造物が数多く残っています。

古の面影の残る松本の街を散策してみました。


旧開智学校

重要文化財旧開智学校は、明治6年(1873年)5月に開校されました。

校舎は明治9年4月に新築されて昭和38年(1963年)3月まで90年間使われていた、わが国でもっとも古い小学校の一つです。


旧開智学校



旧開智学校

構造は木造で桟瓦葺、寄棟2階建て土蔵造りで、中央に「東西南北」の風見を配した八角塔が高くそびえ立ち、各窓に舶来のギヤマン(ガラス)を取り付けた、和風と洋風の入り混じった擬洋風建築の代表的なものといわれています。

建築文化史上貴重な遺構であることから、昭和36年に近代の学校建築として最初の重要文化財に指定されました。



教室


開智学校の設計施工は、松本の大工棟梁の立石清重が手掛けました。

工事費は約1万1千円です。

当時の大工日当が20銭、権令(県知事)の月給が20円ですから、かなりの高額です。

しかも工事費の約7割は松本町民の寄付でした。

町民の開智学校への期待の大きさが伺われます。


松本オルガン



寺子屋の光景


寺子屋の机



教室



廊下の電灯

開智学校は小学教育を第一の使命としましたが、それにとどまらず中学校、女学校、師範学校などの諸学校、さらに博物館や図書館などの社会教育施設に至るまで、その発祥の母体となった学校です。


昭和38年1月から昭和39年8月にかけて、女鳥羽川のほとりから現在地に移転し、保存修理が行われました。

現存する校舎は、新築当初の形に近づけて復元したものです。

昭和40年に、旧校舎は教育博物館として公開されています。


桟唐戸の波形・飛龍の木彫り



舶来のガラスを取り付けた窓

旧開智学校で保管・展示している資料は、教育資料と建築資料の2つがあります。

教育資料には、江戸時代の往来物、明治以降の教育書、日誌、卒業証書などがあります。

建築資料には、重要文化財附指定文書をはじめ、舶来のガラス、棟梁立石清重関係の資料があります。


校舎に多く見られる彫刻は、旧開智学校の特色の一つです。

彫刻のついた桟唐戸は校舎内に8面あります。

このうち2階間仕切りになっている桟唐戸は、波形・飛龍の木彫りが優れており、新築当初の面影をよくとどめているとのことです。


大棟鬼瓦



風見 東西南北

観覧料

300円


アクセス

松本駅から徒歩25分。
松本城から北へ徒歩10分
タウンスニーカー北コース「旧開智学校前」下車


松本市旧司祭会館


松本市旧司祭館


松本市旧司祭館

松本市旧司祭館は、明治22年(1889年)に、フランス人のクレマン神父によって建築され、長野県内で現存する最古の宣教師館です。

旧藩政時の武家屋敷跡地に建築された西洋館で、宣教師館や伝道師たちの住居として使用されていました。


松本市旧司祭館



松本市旧司祭館

平成元年(1989年)、松本城周辺街路の拡幅事業と関連して、松本カトリック教会の敷地が影響を受けることになり、同敷地内にあった司祭館は解体される予定でしたが、貴重な文化財を保存しようという声が高まり、市へ寄付されました。

平成2年〜3年にかけて現在地に移築復元され、この事業に関して市民から6000万円の寄付が寄せられたとのことです。



松本市旧司祭館


外壁はペンキ塗仕上げの下見張りで、アメリカ開拓時代の技法であるアーリーアメリカン様式が用いられています。

明治初期に外国人の手で建設された西洋館の特徴は、ベランダと暖炉を持つことですので、旧司祭館はこの両方を兼ね備えている点において長野県内最古の西洋館です。


高床式



高床式

クレマン神父をはじめ、神父として就任した外国人の中ではフランス人神父が最も多く、明治34年(1873年)から昭和3年(1928年)まで27年間、司祭としてこの司祭館に籍をおいたグスタフ・セスラン神父が、「和仏大辞典」の編纂をスタートした場所ともいわれています。


地窓

高床式になっており、床下は物置の役割を果たし、フランスから送られてきたワインの樽を格納しておくことができたといわれています。

各部屋に設けられている暖炉は、実際に使えるように復元されています。


暖炉



暖炉

見学料 

無料


アクセス


松本駅から徒歩25分。

松本城から北へ徒歩10分
タウンスニーカー北コース「旧開智学校前」下車

旧開智学校の隣です。


高橋家住宅


高橋家住宅


高橋家住宅

高橋住宅は松本市内に現存する数少ない武家住宅の一つです。

高橋家は、美濃国加納(現岐阜市)で戸田家に召し抱えられました。

享保11年(1726年)に戸田光慈が松本藩主になると、志摩国鳥羽から藩主に従って松本に移り住みました。

この建物は、藩が藩士の住まいとして所有していた、いわば官舎でした。


高橋家住宅



高橋家住宅

建築年代は、高橋家がある徒士町ができた17世紀前半から、高橋家が移ってきた享保11年までの間と推定されています。

現存する武家住宅では、長野県内でもっとも古い建物の一つとされ、昭和44年に松本市重要文化財に指定されました。

平成16年に、故松本桂三氏から松本市に建物が寄付され、市では明治16年(1883年)頃の古文書に記載されている間取りをもとに、幕末から明治時代初めの頃の姿に復元修理しました。


平成21年5月、高橋家住宅は博物館として生まれ変わりました。


開館日:毎週水曜日・土曜日


入館料
:無料


アクセス


旧開智学校から北東方向に徒歩5分。


高橋家住宅


旧制松本高等学校&あがたの森公園


旧制松本高等学校(あがたの森文化会館)



旧制高等学校記念館

旧制松本高等学校(あがたの森文化会館)

松本高等学校は、大正8年(1919年)に創立され、「松高」の名で親しまれた旧制高等学校です。

自由闊達な校風で、各界で活躍する多くの人材が巣立っています。

北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」には、彼の松高時代が描かれています。


昭和25年(1950年)の学制改革で旧制高等学校の制度が廃止になるまで、5000名余の人材を輩出しています。

同窓生と市民による保存運動で、校舎の一部と講堂、ヒマラヤ杉が残されています。

あがたの森文化会館は、旧制松本高校(1919年〜1950年)の校舎を保存し、公民館として活用しています。

全国的にも珍しい文化施設で、市の図書館も併設しています。


旧制高等学校記念館



旧制松本高等学校(あがたの森文化会館)



旧制松本高等学校(あがたの森文化会館)

昭和25年(1950年)の学制改革で旧制高等学校の制度が廃止になるまで、5000名余の人材を輩出しています。

同窓生と市民による保存運動で、校舎の一部と講堂、ヒマラヤ杉が残されています。

あがたの森文化会館は、旧制松本高校(1919年〜1950年)の校舎を保存し、公民館として活用しています。

全国的にも珍しい文化施設で、市の図書館も併設しています。



あがたの森公園



あがたの森公園


あがたの森公園

あがたの森公園は、旧制松本高等学校の跡地に作られた公園です

ヒマラヤ杉並木はあがたの森のシンボルの一つになっている、大木の並木です。

第2代校長の大渡忠太郎時代に植えたもので、樹齢は60年以上になります。

あがたの森公園の園内は芝生の大広場や、池を配した回遊式日本庭園風の区画など、いくつかのスペースに分かれています。


あがたの森公園



あがたの森公園

春や初秋はとくに気持がいいので、お弁当を持ってピクニックに来るのがオススメとのことです。


アクセス

JR松本駅から徒歩25分
タウンスニーカー東コース「旧松本高校」下車


松本市美術館


松本市美術館


松本市美術館

平成14年4月にオープンした松本美術館は、市民が心を開く学びの森として、地域に根ざす総合美術館を目指して運営されています。

世界的に活躍する前衛芸術家・草間彌生、信州の山々を生涯描き続けた田村一男、力強い絵画的表現の書家・上條信山など、松本や信州ゆかりの作家の作品をはじめ、自然や山、音楽にちなんだ作品を常設展示しています。


松本市美術館



松本市美術館

入館料

常設展 400円
企画展は展覧会によって入館料が異なります。
企画展の観覧料で常設展も見ることができる。

アクセス

松本駅から徒歩12分。
タウンスニーカー東コース「松本市美術館」下車


中町通り界隈・源智の井戸ほか


源智の井戸


源智の井戸

源智の井戸は、名水として名高く、松本に城下町が形成される以前から飲用水として利用されてきた古い歴史を持つ井戸です。天保14年(1843年)に著された「善光寺道名所図絵」によると、町の酒造業者はことごとくこの水を使い、歴代の領主は制札を出してこの水を保護したといわれています。

松本市内に点在する湧水は「まつもと城下町湧水群」として、環境省の「平成の名水100選」に認定されています。


源智の井戸



源智の井戸で水を汲む住民

毎分約230リットルの水が湧き出ており、現在も多くの人が訪れ、飲料水として汲んだり、清水として利用されています。

松本市にはいくつかの井戸が存在していますが。この源智の井戸が最大とされ、有名な観光スポットにもなっています。


伊織霊水

伊織霊水は、源智の井戸の北東方向、タウンスニーカー東コースの「伊織霊水」の停留所から北方向に50mほど進んだ道路脇にあります。

松本藩主水野忠直の時代の貞享3年(1686年)に起きた農民一揆(貞享騒動)に際して、一揆首謀者たちの助命を進言するなど、農民たちの救済に奔走し、正義潔白の武士といわれているのが鈴木伊織です。


伊織霊水



伊織霊水

残念ながら助けることはできませんでしたが、伊織の死後も農民達に慕われる存在であったようです。役人の立場で農民達を守ろうとした行動が後世まで伝えられ、この井戸の名前の由来となっています。

この井戸は、他の市街地にある井戸と比べると新しい井戸で、平成17年度に松本市が企画したまちづくり計画の中で伊織霊水の復元という事業が計画され、復元された井戸で、鈴木伊織の墓所の前にある湧き水です。

こちらも市民の方が水を汲みに来ていました。


タウンスニーカー

松本を散策する場合は松本周遊バス(タウンスニーカー)を利用すると効率的です。

タウンスニーカーは4つのコースが設定されていますが、北コースと東コースが観光スポットを30分間隔で運行されています。

ただし、この周遊バスは相互方向ではなく、一方向の運用ですから、バスのルートを調べて観光ルートを選定する必要があります。

また、一日乗車券を利用すると観光施設の入場が割引になります。


中町通りを走る松本周遊バス・タウンスニーカー



中町通りの貸し出し自転車置き場

スイスイタウン

「スイスイタウン」は、市街地の観光施設9ヶ所に設置されている「無料自転車の貸し出し」サービスです。

9:00〜17:00の間、利用できます。

市内散策には便利です。




 松本散策その1(松本城)へ


 松本散策その3(中町通りなど)へ


 松本散策その4(時計博物館など)へ



        風来坊


スイスイタウン


目次  TOP 前ページ 次ページ HOME