明月院の創建は今から約850年前の永暦元年(1160年)に始まります。この地の武将で平治の乱で戦死した山内首藤俊道の菩提供養のため、俊道の子の山内首藤徑俊が創建しました。
その約百年後の康元元年(1256年)、鎌倉幕府第5代執権北条時頼がこの地に最明寺を建立しましたが、時頼の死後廃絶となりました。
時頼の子・北条時宗がその跡に禅興寺(ぜんこうじ)を建てました。
禅興寺は関東十刹(じっさつ)の一位に数えられるほど規模も大きく、位も高いお寺でした。
明月院は、この禅興寺の塔頭(たっちゅう、子院)として上杉憲方が建てた寺で、名前も明月庵から明月院と改められました。
その後禅興寺は衰え、明月院に付属したような形となり、結局明治時代の初めに廃寺となってしまいました。
現在では、明月院のみが残っているということになります。
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