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井沢弥惣兵衛による見沼代用水造成
見沼溜井から水を引く「見沼用水」のお陰で周辺の水田開発が進みました。しかし次第に見沼溜井だけでは水が不足するようになりました。
その後享保12年(1727年)徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛が、新たに利根川から用水を引き、見沼溜井は干拓して新田開発し、排水路として中悪水路(現芝川)を掘削する工事を行いました。見沼田んぼの誕生です。
利根川から引かれた水は、見沼に代わる用水なので「見沼代用水」と呼ばれました。見沼代用水は、取水口の利根川から見沼まで全長60Km、そこからかつての見沼用水につなげましたから、末端は現在の東京都足立区まで84.5kmにも及びました。
見沼代用水は、利根川から見沼たんぼまで多くの水路や道路を横断しなければなりません。そのため、川の下に水路をくぐらせる伏超(ふせごし)53基、川の上に水路を渡す掛渡井4基、関枠(取水口)は大小合わせて164基、主要な橋は(石橋・土橋合わせて)90個所も設置されました。
特に元荒川をくぐらせた伏越、綾瀬川の上を渡した掛渡井は、重要構造物として知られています。
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