もちろん現在のような丸い朝顔も江戸末期には大輪咲き朝顔とし盛んに栽培されていましたが、変化咲き朝顔の不思議な美しさが江戸の人々にブームを巻き起こしました。
当時の模様を下谷繁盛記(大正3年発行)には、「入谷の朝顔の全盛を極めたりしは、明治二十四・五年頃にして、その頃は、朝顔を造る植木屋十数件を数え、入谷の通りは、毎朝、往来止めとなる程なりし也。殊に、当時は、周囲一面の蓮田を廻らしたれば、涼しき朝風に吹かれ乍ら、朝顔を見又蓮の花を見るを得たり敷かば、観客頗る多く、非常の盛況を呈したり。」と記載されています
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