東慶寺は今から約730年前、弘安8年(1285年)に、鎌倉幕府第8代執権北条時宗の夫人の覚山志道尼が開創しました。
封建時代、夫から絶縁状をもらわない限り、妻から離婚できなかった時代に、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできました。
後醍醐天皇の皇女・用堂尼の入寺以後は、松岡御所と称され、寺格の高い尼寺として名を馳せるようになり、室町時代には鎌倉尼五山第二位列せられていました。
明治4年(1871年)には縁切りの寺法は廃止となり、尼寺の歴史も明治35年(1902年)に幕を閉じました。 明治38年(1905年)に釈宗演禅師が入寺、中興開山となり、新たに臨済宗円覚寺派の禅寺としての歩みを始めました。
境内にはウメやハナショウブ、アジサイなどさまざまな花が植えられ四季を通じて楽しむことができます。
学者や作家の墓が多いことでも有名で、鈴木大拙、西田幾太郎、岩波茂雄、阿倍能茂、高見順、小林秀雄などの墓があります。
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