大倉山公園梅林は、旧梅林敷地約3ヘクタールを東京急行電鉄が東横線開通後に用地を買収して、乗客の誘致を目的として昭和6年梅林として開園したのが始まりです。
昔からこの辺りは太尾と呼ばれ、梅林も太尾公園と呼ばれていましたが、昭和9年に東横線の駅名が太尾駅から大倉山駅に改名されたのを機に、大倉山公園となりました。
最盛期の昭和12年頃には白梅を中心に14種1000本を超える一大梅林があったとされています。
しかし、第2次世界大戦中は燃料用の薪を取るために伐採され、食糧不足のためにイモ畑化するなどで荒廃しました。
戦後、昭和25年頃から復活し、昭和40年代までは梅祭りなども行われ、大いに賑わったようです。
しかし、その後は施設の老朽化や梅の木の衰退が目立ってきたようです。
大倉山公園を散策していると、「この公園、昔は大きくて現在の何倍もあったのですよ」という地元の人の昔を懐かしむ声を良く耳にします。
昭和58年から61年にかけて東急から横浜市に売却され、再整備のうえ、平成元年に現在の形で開園しました。
公園内にある「大倉山公園梅林の由来」には「現在では紅梅、白梅あわせて約20種150本の梅林となっています。平成元年2月」と書かれておりますが、その後も整備が進められ、現在は約30種、200本の梅林となっています
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