神奈川県小田原では今から約600年以上も昔、北条氏の時代に梅の実を兵糧用にするため、城下に多くの梅の木が植えられました。
江戸時代には、小田原藩主の大久保氏により梅の栽培が奨励され急速に増えました。
さらに、箱根越えの拠点としての宿場町として、旅人の必需品(弁当の防腐、のどの渇きを癒す、健康食品)としても梅干が重宝されました。
曽我梅林は、小田原城の北東約7kmに広がる、別所梅林、中河原梅林、原梅林の総称です。
その規模は、およそ90ヘクタールあり、約3万5千本の白梅が植えられています。
食用梅の生産が目的のため、そのほとんどが白い花の白梅になっています。
栽培されている主な品種は、十郎(梅干用)、白加賀(梅酒用)、杉田(梅酒・梅干兼用)であり、毎年6月から7月初旬にかけて380トンから400トンの生梅が収穫されます。
曽我梅林では、食用の梅を生産するとともにその花の美しさ、可憐さ、高貴さを楽しんでいただくことを目的に、約45年前に地元農家が実行委員会を作り、梅祭りを開催しています。
今年はコロナ感染症の関連で、梅まつりは中止になりましたが、梅まつりのメイン会場である別所梅林は開放されました。
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