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日野散策「新撰組のふるさと日野宿を巡る」 (H29.5.28)


新撰組のふるさと歴史館



新撰組のふるさと歴史館



新撰組のふるさと歴史館

東京龍馬会の史跡探訪「新撰組のふるさと日野宿を巡る」に参加することができなかったので、5月28日(日)に東京龍馬会の史跡探訪案内状を参考に、一人で廻ってきました。

最初に訪ねたのが「新撰組のふるさと歴史館」です。

JR中央線日野駅の改札口を出て、右方向に甲州街道に沿って300mほど進んだ「日野市役者入口」の交差点を右折し、上り坂を700mほど進んだ「神明3丁目」の交差点を左折し道なりに100mほど進むと「新撰組のふるさと歴史館」です。



新撰組のふるさと歴史館


幕末、土方歳三、井上源三郎、近藤勇、沖田総司、彼らが集った日野。

ここで、武術に励んだ彼らは、後に新選組となり、歴史にその名を刻み込みました。

「新選組のふるさと歴史館」では平成22年度から、日野に残されている新選組資料を集めた常設展が行われ、新選組の歴史を中心に、さまざまな企画展も催されています。

展示室の壁面には、新撰組の歴史が説明されており、その活動の様子を学ぶことができます。

館内撮影禁止のため、細部を紹介することはできません。


新撰組のふるさと歴史館 記念撮影ができます



大昌寺



大昌寺

「新選組のふるさと歴史館」から元来た道を戻り。坂道を下った「日野駅入り口」の交差点を右折すると「大昌寺」です。

大昌寺は浄土宗知恩院末のお寺で、江戸開府の前年、慶長7年(1602年)、八王子の大善寺の開山である中秀助給和尚こと讃誉牛秀が隠棲の場所として建立したといわれています。


大昌寺墓地の南西奥に、佐藤彦五郎と妻ノブ(土方歳三の実姉)の墓所があります。

幕末、最後の日野宿名主を努めた佐藤彦五郎は、自宅でもあった日野宿本陣に天然理心流の道場を開き、そこには近藤勇や沖田総司、山南敬助らが訪れ、日野出身の土方歳三、井上源三郎らを交えた新選組と日野の人々との物語の幕がここから上がりました。

佐藤彦五郎は新選組に物心共に応援を続けたことも知られています。


大昌寺



大昌寺・佐藤家墓所

その佐藤彦五郎が残した膨大な資料から新選組に関係するものを公開しているのが、佐藤彦五郎新選組資料館です。

平成16年(2005年)4月25日に、土方歳三資料館、井上源三郎資料館に続き、3館目の私設資料館として開館しました。

土方歳三と佐藤彦五郎の鉄扇など新出の資料も展示されています。

私設の資料館があるため、開館日が第1、第3日曜日に限定されており、今回は残念ながら見学することができませんでした。



佐藤彦五郎新選組資料館


佐藤彦五郎新選組資料館は、大昌寺から東方向に道なりに300mほど行った左手にあり、そのすぐ先の交差点を左折して100mほど進むと「川崎街道入り口」の交差点です。

この交差点が川崎街道の起点となります。「川崎街道入り口」の左右の通りが甲州街道で、交差点を左折して甲州街道に沿って50mほど進んだ左手が「日野宿本陣」で、右手が「日野宿交流館(観光案内所)」です。


日野宿交流館(観光案内所)



日野宿本陣



日野宿本陣



日野宿本陣

日野宿本陣は「新撰組のふるさと歴史館」の分館という位置づけですが、日野宿本陣は都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣建物です。

現在の建物は嘉永2年(1849年)正月18日の大火で焼失してしまった主屋にかわるものとして建設されました。

幕末に日野宿の問屋と日野本郷名主を務めていた佐藤彦五郎が本陣兼自宅として元治元年(1864年)12月から使用していた建物です。



日野宿本陣



日野宿本陣


大火をきっかけに自衛の必要を痛感した佐藤彦五郎は八王子千人同心の井上松五郎から天然理心流を紹介され、近藤周助に入門し、自宅に道場も開きました。佐藤彦五郎は卓越した技量からか4年後には免許皆伝をとっています。

この道場には、やがて近藤勇や沖田総司、山南敬助らが訪れるようになり、日野出身の土方歳三、井上源三郎らを交えた新選組と日野の人々との物語の幕が開けられたのです。まだ、この建物が完成する前のことです。


日野宿本陣



日野宿本陣



日野宿本陣



日野宿本陣

建物は文久3年(1863年)4月に上棟され、翌年完成しています。

上棟の少し前の文久3年2月には、徳川14代将軍家茂が上洛、その警護のために新選組の前身となる浪士組が京都へ向っています。

この浪士組に近藤勇や土方歳三、井上源三郎、沖田総司らが参加しています。

本陣の建物の準備には10年に及ぶ歳月を費やしたと伝えられていますから、本陣建設の槌音を聞きながら、同じ敷地内にあった道場ではのちに新選組になる面々が木剣の音を鳴り響かせていたことになります。



土方歳三資料館



土方歳三資料館


日野宿本陣から甲州街道を東方向に700mほど進むと多摩都市モノレールの「甲州街道駅」です。多摩都市モノレールに乗車して次の「万願寺駅」で下車して徒歩3分程度で「土方歳三資料館」です。

「土方歳三資料館」は、土方歳三の生家が建て替えを機に、平成2年(1990年)から自宅の一室を開放して作られている資料館です。


土方歳三像



土方歳三資料館


土方歳三資料館



土方歳三資料館

土方歳三の愛刀「和泉守兼定」や鎖帷子などの武具、写真や手紙などが展示されており、歳三の兄から数えて五代目・六代目の子孫が直接解説をしてくれます。

平成17年(2015年)春に3倍の広さになって新装開館し、これまで展示しきれなかった資料も新たに見られるようになりました。

自宅を利用している私設資料館であることから、開館日が第1、第3日曜日に限定されており、今回は残念ながら見学することができませんでした。



石田寺


「土方歳三資料館」の東南東300mほど(徒歩10分程度)に「石田寺」があります。

石田寺は真言宗の寺で、高幡山金剛寺(高幡不動)の末寺です。

5月11日は土方歳三が35年の生涯を閉じた命日です。

死後百年以上過ぎた今日でも、5月第2日曜日に行われる「歳三忌」には、石田寺は全国から歳三の追悼に訪れた歳三ファンで埋まります。


石田寺



石田寺のカヤの木

石田寺の境内にはいった右手に、日野市の天然記念物に指定されているカヤの木があります。目通りの太さは4.5m、高さ26m、その樹齢は400年以上、あるいは600年かともいわれています。

カヤの木のすぐ隣に「土方歳三義豊之碑」が立てられています。
この碑は、早くして両親をなくした歳三の親代わりでもあり、家督を継いだ兄、喜六の曾孫にあたる土方康氏が昭和43年(1968年)に明治100年を記念して建立したものです。



土方歳三義豊之碑



土方家墓所


10月に「明治」と改元された1868年は、1月には王政復古の大号令があり、五箇条の誓文が4月に出され。9月には江戸が東京と改名された年です。

土方歳三が亡くなったのは翌明治2年(1869年)5月で、その時には蝦夷地だった場所も、同じ年には北海道に改められ、開拓使も設置され、北海道の開拓が本格化していきました。

この碑から明治100年に込められた子孫の方の想いが図られます。


土方歳三墓所



多摩都市モノレール



多摩都市モノレール



多摩都市モノレール・万願寺駅

「土方歳三義豊之碑」のすぐ近くに、土方歳三の墓所があります。

5月11日の命日以外でも年間を通して、献花の絶えることはありません。

土方家の菩提寺は高幡山金剛寺(高幡不動)で、歳三の位牌も金剛寺本堂の大日堂に納められています。

土方家の墓所は金剛寺の末寺である石田寺にあり、ここに土方歳三の墓石も立てられているのです。



高幡不動尊



高幡不動尊


石田寺から多摩川の支流の浅川の土手に出て、新井橋を渡り道なりに1kmほど進むと高幡不動駅で、そこから約5分で高幡不動尊です。

万願寺駅からですと1駅で高幡不動駅です。

高幡不動尊は古来より日本一と伝えられた丈六不動三尊(重文)をまつる寺で、平安期からの文化財を数多く収蔵する古刹です。

土方歳三の菩提寺であり、大日堂では毎年、5月の命日には法要が行われています。


高幡不動尊



高幡不動尊・奥殿



高幡不動尊・奥殿

新選組関係では殉節両雄之碑及び土方歳三の像が境内にあり、さらに奥殿には歳三の手紙や東照大権現の幟・新選組英名并日記等の資料のほか、歳三と交わりの深かった幕末名士達の書軸などが数多く展示されています。

また、大日堂には土方歳三及び近藤勇の位牌、並びに新撰組隊士の大位牌が祀られています。



高幡不動尊・大日堂


殉節両雄之碑(故幕府新選隊士 近藤昌宜・土方義豊碑)

明治政府は戊辰戦争に関係した東軍の戦死者の墓碑の建立や供養を禁止しました。この禁が解けた明治9年に元隊士・永倉新八が中心になって板橋刑場の側に近藤・土方ら新選組隊士の供養墓が建立されました。

同じ年に日野でも高幡山前住賢雅和上や日野宿の佐藤彦五郎を中心に「近藤・土方の忠節を顕彰する碑」を高幡山境内に建てることが計画されました。


高幡不動尊・大日堂



殉節両雄之碑と土方歳三像



殉節両雄之碑

しかしその内容が当時賊軍扱いされていた両士の顕彰碑だったために碑が完成しても建立の許可が得られず、実際に建てられたのは明治21年(1888年)です。

最後の将軍徳川慶喜は、歳三の「唯死あるのみ。即ち寛典に処すとも吾何の面目あって、また昌宜と地下にまみえんや!」との文言のある碑文を読み、無言のまま落涙したと言われています。



土方歳三像


土方歳三銅像

土方歳三は今、弁天池入口で高幡不動を訪れる人々を見下ろすように立っています。
この像は平成7年(1995年)、東京日野ロータリークラブが郷土史家の協力のもと歳三の姿を現代に蘇らせたものです。


関連のホームページ

 東京龍馬会


高幡不動尊


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