江戸時代の荏原郡新井宿村は、家康の関東入府から幕末に至るまで、旗本木原氏の知行地でした。
4代兵三郎重弘の時代、延宝元年(1673年)の干ばつ、翌年の多摩川氾濫などによる洪水や長雨などの天災で農民の困窮は甚だしく、過酷な年貢収奪に、耐えかねた村民は、19箇条の訴状を提出して年貢の減免を願い出ました。
この訴えは黙殺されたため、重立ち百姓6人は、将軍家綱に起訴しようとしましたが、決行直前の延宝5年(1677年)正月2日密告により捕らえられ、神田橋門外にあった木原内匠邸で処刑されたといわれています。しかしその結果、年貢は半減されたとのことです。
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