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浦安散策 (H28.2.3&2.11)


浦安散策:歴史・文化コース



浦安魚市場

千葉県の浦安市を散策しました。

浦安といえばディズニーランドで有名ですが、今回はディズニーランド界隈ではなく、昭和の香りの漂う浦安市の北西部の元町エリアを散策しました。

元町エリアの「歴史・文化コース」に概ね沿って散策しました。


散策コースの概要は次のとおりです。

東京メトロ浦安駅浦安魚市場善福寺稲荷神社船圦緑道旧江戸川リンド技師祈念碑境川清瀧神社フラワー通り(旧宇田川家住宅、旧大塚家住宅、旧清野医院)豊受神社左右天命弁財天境川浦安市郷土博物館しおかぜ緑道浦安駅


浦安魚市場



善福寺



善福寺

東京メトロ浦安駅から、北方向に300mほど進むと「浦安魚市場」です。
親子クジラの大きな看板が目印の本格的な市場です。

魚介類を中心に乾物や食料品など、50ほどの店舗が軒を連ねています。

一般の人でも購入することができます。
市場ならではの安さと活きの良さを味わうことができます。


浦安魚市場から北方向に300mほど進んだ2つ目の信号を左折し、200mほど進んだ最初の信号(交差点)の左手に「善福寺」があります。

善福寺は明暦2年(1656年)に、祐栄によって開かれた寺院です。明治時代には、当時の住職影信が教師となり、本堂を教室として当代島小学校を開校していました。

境内には宝筐印塔や田中十兵衛の墓のほか、かるめや不動尊、サバ大師、六地蔵が祀られています。


善福寺



船圦緑道



船圦緑道

「善福寺」から交差点に戻り、西方向に100mほど進むと、道路の真ん中に緑道が整備されています。「船圦緑道」です。

船圦緑道は現在は遊歩道ですが、かつては船圦という川でした。

その面影を残すために人工的な小川が造られ、現在では子供たちの遊び場となっています。

川底にはウナギや貝のオブジェがあります。



稲荷神社


船圦緑道を100mほど進んだ右手が「稲荷神社」です。

稲荷神社は文禄2年(1689年)に創建された神社です。

古くから天然痘に霊験があるといわれ、境内にある小石を持って帰る者がたえなかったといわれています。

境内には市指定有形文化財の「大鯨の碑」のほか、富士塚などがあります。


稲荷神社



大鯨の御社

「大鯨の碑」の左側に高梨源八、西脇清吉と刻まれています。

現在は、昔日の面影はなく、浅瀬は埋め立て造成されてビル群やディズニーランドと様変わりしていますが、埋め立て前の湾であった頃の実話で、明治8年の出来事です。

現在の船圦緑道は船圦川と呼ばれた川で多くの木造漁船が繋がれ桟橋近くは漁民の社交場ともなっていました。

船圦川より江戸川(旧江戸川)に出て引き潮を利用して櫓を漕いで河口から海に出て、貝や魚を採って日々の暮らしの糧を稼ぎ生活を営んでいました。
東京湾に鯨がいたとは現在では思いも及ばないことですが、当時は水が澄み自然環境が良く小魚が多く、鯨の餌が豊富だったことでしょう。


河口から海へ暫く進むと葛西沖に十三洲と称する好漁場がありました。当代島の住人高梨源八と西脇清吉は、いつものごとく日の出前に連れ立って漁場である、三枚洲に近付くと洲の上で黒い大魚が暴れていました。よく見ると噂に上っている鯨が浅瀬に取り残されていました。大格闘の末生け捕りに成功し、意気揚々と帰還しました。

村中が噂を聞いて大騒ぎとなり、老若男女が我先にと見物に来たそうです。当時の価格で200円也の値で売れ、大金を手中にした二人はすっかり有名になり、何処に行っても英雄扱いで仕事が手につかなくなりました。

こうした話題に終止符を打つために、神社末社に大鯨の碑を奉納し祀ったとのことです。


大鯨の碑



旧江戸川



旧江戸川



旧江戸川 スカイツリー見えるかな?

稲荷神社から船圦緑道に戻り、西方向に300mほど進むと旧江戸川の土手に出ます。

土手に沿って遊歩道が整備されており、旧江戸川を眺めながらゆっくり散策することができます。

旧江戸川の浦安側には、現在も船宿があり、旧江戸川には漁船が係留されています。


山本周五郎の小説「青べか物語」(昭和36年 文藝春秋社刊行)は、浦安市が舞台になっています。

物語では「貝と海苔と釣場で知られる根戸川の下流にある漁師町・浦粕町」として登場します。巻末の解説によると、山本周五郎は実際に大正15年から昭和4年の春まで、年齢23歳〜26歳の時に同地で暮らしていたそうで、その当時の体験などが元となって綴られているとのことです。


旧江戸川



船宿吉野屋 青ベか物語の船宿・千本



船宿



船宿は釣り客の車で埋まっています

青べか物語は、同地に暮らす個性と人情味溢れるキャラクターたちの織り成す人間模様が、当時の浦安の風景描写とともに、30ほどのショートエピソードに綴られています。

そんな物語の中において「船宿・千本」として登場するのが、「船宿・吉野屋」です。

吉野屋三代目店主・吉野長太郎は、この物語において、釣船宿の三男坊、快活な小学生の男の子「長」として度々登場、人懐っこく、茶目っ気溢れる立ち振舞いで読み手の心を和ませます。



旧江戸川と東西線の鉄橋


旧江戸川に沿って進み、東京メトロ東西線の鉄橋を潜ったところに「リンド技師記念碑」があります。

日蘭交流400年に当たる平成21年(2009年)10月、オランダ政府は、近代測量の基礎を成したリンド技師の功績を称え、旧江戸川近くに祈念碑を建立しました。

祈念碑は、オランダの彫刻家エリック・クラウス氏がデザインしたものです。


リンド技師祈念碑



境川



清瀧神社



清瀧神社

「リンド技師記念碑」そばの石段から下に降りて、境川に沿って東方向に300mほど進んだ信号のある交差点を右折して30mほど進むと右手が「清瀧神社」です。

清瀧神社は、建久7年(1196年)の創建といわれ、海の神である大綿津見神が祀られています。



清瀧神社本殿



清瀧神社本殿の彫刻


清瀧神社の後方に清瀧神社本殿があります。

清瀧神社本殿は安政2年(1855年)に建て替えられましたが、建築にかかった費用は、村人たちが長年にわたり、毎日少しずつ積み立てて用意したそうです。

絵図師高間惣治郎が図を書き、ケヤキの大木を上総国から買い求め、棟梁肥前松五郎が1本の木で建築したといわれています。


浦島太郎の彫刻



清瀧神社本殿

建築様式は、木造三間社(正面の柱間が3つあるもの)、流造り(屋根の前面を長くした造り)で、精巧華麗な彫刻が施されている点が大きな特色です。

中でも正面の龍の彫刻および浦島太郎や竜宮城などの浮き彫りは見事で、高欄の下には海の神社にふさわしく、波間に千鳥の彫刻があります。



富士塚


清瀧神社には大正11年(1922年)建造の富士塚があります。

また、清瀧神社境内に、リンド水準標石(堀江水準標石)があります。
河川を改修するにあたって最初に行ったのは、川の水位を測るための基準点を定めることでした。

明治5年(1872年)に日本政府に雇われたリンド技師は、堀江から安食まで、利根川・江戸川沿いの水準測量を行い、堀江水準標石を設置しました。

さらにリンド技師は、明治5年(1872年)末に利根川河口の飯沼に設置した水位尺の零位を日本水位尺と名付け、水準測量の原点と定めました。


堀江水準標石



旧宇田川家住宅



旧宇田川家住宅

清瀧神社の前の横断歩道を渡ったところが「フラワー通り」の入口です。

浦安はかつては漁師の町でした。「フラワー通り」はその当時から近隣の人たちに親しまれている商店会です。

境川と並行したフラワー通りは、当時浦安唯一の商店会で、通りには映画館、日常雑貨の店、飲食店などが並び賑わっていました。

現在も400mほどのフラワー通りに、浦安市の文化財である旧宇田川家、旧大塚家や民家、個性的な品物を扱うギャラリー、昭和の初めから営業している飲食店など、見どころや味どころも揃っています。


フラワー通りを100mほど進んだ左手が「旧宇田川家住宅」です。

旧宇田川家住宅は、明治2年(1869年)に建てられた、建築年代のわかるものでは浦安市最古の民家です。

江戸時代中期に名主の家から分家した家柄で、屋号を「藤村家」と称していました。米屋、油屋、雑貨屋、呉服屋などを営み、商家として使われていましたが、大正3年(1914年)店の一部が改造され、ここに浦安郵便局が開かれました。第2次世界大戦後は、宇田川医院の診療所として、地域の人々にとっては思い出深い民家の一つです。


旧宇田川家住宅



旧宇田川家住宅釘隠し

この民家は、道路に面した2階建ての店舗部分と奥の方の平屋の住宅部分から成り立っています。1階の揚戸、カギの手の土間、2階の軒の桁、出格子窓など、幕末から明治にかけての江戸近郊の町屋の形をよく伝えています。

昭和57年(1982年)に浦安市の有形文化財に指定されました。



旧大塚家住宅


「旧宇田川家住宅」から30mほど進んだ路地の奥に「旧大塚家住宅」があります。

旧大塚家住宅は、建築構造と様式の特徴などから、江戸時代末期の建築と推定されています。大塚家は、漁業と農業を営み、浦安では比較的規模の大きな家であったようです。

間取りは、中央に大きな居間(板の間)があり、境川寄りに土間があります。浦安の民家は、境川に近い方に土間、遠い方に客座敷がつくられているのが大きな特徴で、境川をはさんで堀江側、猫実側では間取りが対称的な形になっています。境川は海への出入口で、その水は飲料水、生活用水として利用されていたため、こうした配置が生まれたと考えられています。


旧大塚家住宅



河津桜

また、小屋裏2階があり、度重なる水害の際には、ここに上がって避難したり、家財道具をしまうなどして、被害を最小限に食い止めようとしました。

旧大塚家住宅は、昭和62年(1987年)に浦安市の有形文化財に、平成14年(2002年)に千葉県の有形文化財に指定されました。



旧清野医院


旧大塚家住宅からフラワー通りを100mほど進むと「旧清野医院」があります。

旧清野医院は、浦安市で最初の洋風建築物で、昭和4年(1929年)に建てられました。医院部分は洋風、住宅部分は和風になっており、建築上の工夫がされています。

随時見学できますが、月〜」金曜日は子育て事業を行っており、見学できませんでした。

旧清野医院の近くの公園では河津桜が見頃を迎えつつありました。

河津桜



花蔵院

フラワー通りをさらに200mほど道なりに進むと、道路が左折し境川を渡ります。

境川を渡って2つ目の通りを右折して100mほど進むと花蔵院で、その隣が「豊受神社」です。



豊受神社


豊受神社は保元2年(1157年)創建と伝えられる、浦安で最も古い神社です。

度重なる風水害によって何度も破損したとされ、現在の社殿は昭和48年(1973年)に建築されたものです。

境内には、浦安市指定天然記念物の大イチョウのほか、富士塚などがあります。


大イチョウ



富士塚

豊受神社の前の横断歩道を渡り、そのまま昔ながらの細い路地を100mほど進むと「左右天命弁財天」です。

この弁天様は猫実の弁天様といい、左右天命をお祀りしています。

明治17年(1884年)10月、川島という人が建立しました。



弁天様は灰やのくるわに災害が起こる前には、女の姿になって現れ、災害を未然に教えたり、大津波の来襲を予告したりして常にくるわの人達を救ってくれるといわれ、非常に霊験あらたかなところから、信者が多く、特にくるわの人々は付近の守り神として崇拝しています。

大正6年(1917年)の大津波で堂宇が流失してしまったので、くるわの人達は浄財を持ち寄って弁天様を再建しました。



境川



境川

「左右天命弁財天」から道なりに100mほど進むと境川に出ます。

境川は、浦安の町を二分して流れる川で、かつての漁師町・浦安のシンボル的存在です。

川は長い間に川幅を広げられたり、川岸が整備されて漁船の航行に支障ないように改修され、長く漁船のたまり場として、また海へ出る航路として重要な役割を果たしていました。

川水は、かつては食器を洗ったり、洗濯や防火用水などに利用されていました。



カフェテラス2015



カフェテラス2015


この境川周辺を会場として「カフェテラスin境川」のイベントが開催されます。

最初は桜祭りと称して行われたカフェテラスin境川は、その後、七夕の季節などにも行われ現在は5月後半に落ち着きつつあるとのことです。

両岸の堤防がレンガで作られた雰囲気の良い境川沿いが、カフェテラスという名前の通り椅子やテーブルが設置され、浦安市内のホテルの味を楽しめるイベントとなっています。

併せて行われる、嫁入り舟などのイベントもあります。

昨年は5月30日に駅からハイキングのイベントも開催されました。


カフェテラス2015



浦安市郷土博物館



浦安市郷土博物館



浦安市郷土博物館

「左右天命弁財天」から境川に沿って500mほど進むと浦安市役所です。浦安市役所の50mほど手前を左折し、100mほど進んだ右手が「浦安市郷土博物館」です。

浦安市郷土博物館は「みんながいきいきする博物館」を基本理念に、平成13年(2001年)に開館しました。



浦安市郷土博物館


浦安郷土博物館は、「浦安のまち−海と暮らす」「船の展示室―海を駆ける」「テーマ展示室―海とともに」に分かれていますが、目玉は「浦安のまち」です。

屋外展示場「浦安のまち」に一歩足を踏み入れると昭和27年頃の人情味溢れる漁師町「浦安」を体感できます。まちを流れる川では、実際にベカ舟や打瀬船に乗り、暮らしの中心であった清らかな「境川」の雰囲気を味わうことができます。


浦安市郷土博物館



浦安市郷土博物館



浦安市郷土博物館

浦安独特の貝殻道を踏みしめながらまちを自由に散策し、各民家を訪ねることができます。

民家としては、たばこ屋、船宿、漁師の家、天ぷら屋、三軒長屋、共同便所と共同水道、魚屋、豆腐屋などがあり、その大部分が実際の民家を移築したものです。

天ぷら屋には、山本周五郎の昭和初期の浦安を舞台に描いた「青べか物語」の資料が展示されています。

船宿では、ボランティア団体の「もやい会」の方々と交流し、昔の話や生活道具を使った体験ができます。

また、四季折々の年中行事や昔遊び、貝むき、海苔すきなどの体験ができます。



浦安市郷土博物館



浦安市郷土博物館


船の展示室では、漁師の魂「船」と伝統技術の神髄に触れることができます。

ここには浦安の海で活躍した数種類の木造船と、櫓や櫂、エンジン、そしてそれらの船を製造するに使用した船大工道具を展示しています。

また「仮屋」と呼ばれる木造船の製造場では、ベカ舟製造の実演を見せたり、船釘打ちを体験することができます。


浦安市郷土博物館



浦安市郷土博物館



浦安市郷土博物館 5月の干潟



浦安市郷土博物館

「テーマ展示室」では、「魚介類の宝庫・浦安」「オカの暮らし」「変わりゆく浦安」の3つに区分して展示が行われています。

干潟のジオラマでは、魚介類の宝庫であった浦安の海を象徴する広大な干潟と、そこで生活する様々な生き物を見ることができます。



しおかぜ緑道


浦安市郷土博物館から境川に戻り、元来た方向(北西方向)に200mほど戻って、境川を渡ると「しおかぜ緑道」です。

水と緑の憩いの道−しおかぜ緑道は、境川から旧江戸川川べりまで約1.8kmに亘って続いています。

険しい岩山の間を流れ落ちる水、水車小屋のある川端など、区間ごとに特徴ある造りになっています。ウオーターフロントの街・浦安の新しい水際として親しまれており、特に夏は子供たちの遊び天国です。


しおかぜ緑道を400mほど進んだ「清滝弁財天」の案内板のあるところを右折し、堀江ドックを経由して浦安駅に戻りました。


       風来坊


しおかぜ緑道


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