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岩波農園のころ柿
ころ柿は漢字では「枯露柿」と書きます。 ころ柿の名前の由来は、柿を乾かす時まんべんなく陽が当たるようにころころ位置を変える作業をすることによるといわれています。 武田信玄公の時代に奨励され、美濃国(岐阜県南部)から蜂屋柿を移植して柿の増産を図ったとのことです。
甲州市塩山松里地区では気象条件が適していることなどから、甲州百匁柿(こうしゅうひゃくめがき)を中心にころ柿作りが盛んで、11月から12月にかけて民家の軒先に吊された「ころ柿のすだれ」は、甲州を代表する風物詩です。
ネットの友人と「ころ柿の里」を訪ねました。 甲州市観光案内所のホームページに「写真を撮影することができるのは、甘草屋敷と岩波農園さんです。一般の農家の軒先を撮影する場合は庭先や畑などに無断で入らないようお気をつけ下さい」との情報が提供されていました。
8時過ぎに塩山駅に着きましたが、駅前の甘草屋敷は火曜日は休館日ということで、先ず岩波農園を訪ねました。 岩波農園は武田信玄公の菩提寺である恵林寺のすぐ西隣にあります。
岩波農園に8時20分頃到着しましたが、すでにころ柿に関する作業が行われており、朝早いにもかかわらず、見学OKです。 しかしながら早朝のため、太陽光線の届いていない部分があり、写真には日陰部分が多くなることから、松里地区や塩山藤木地区を散策することにしました。 この地区はころ柿作りが盛んで、至るところの軒先に柿がつるされていました。
1時間ほど散策して岩波農園に戻りましたが、最初は誰もいなくて貸し切り状態でした。まもなく千葉からの写真グループや女性のグループが到着して農園内は賑やかになりました。 写真で見ると軒先に吊されている柿は一重のように見えますが、裏に回ると何重にも吊されていてびっくりです。
目で見る柿の何倍もの柿が吊されているのです。 しかもこの日は岩波農園の奥様の暖かいご配慮で、家の中にあがって吊されている柿の裏側から撮影することができました。
松里地区のころ柿は甲州百匁柿(こうしゅうひゃくめがき)という大きな渋柿が使用されています。 渋柿の皮をむいて天日干しをし、次にワラの上に平干します。 平干しをして柿の廻りに白い粉が出てくると、ころ柿の完成です。 今年は平干しを見ることができませんでしたが、この時期はあんぽ柿の段階で出荷されるので、ワラの上に干す作業は12月から始まるとのことでした。
恵林寺傍の民家のころ柿
最初に「ころ柿の里」を訪ねましたと書きましたが、実は「ころ柿の里」という地名はありません。 ころ柿作りの盛んな、恵林寺周辺の松里地区を総称して「ころ柿の里」と呼んでいるとのことです。
恵林寺の周辺では多くの民家でころ柿が作られていますが、今年は恵林寺の入口右側にある民家を見学させていただきました。 このお宅では、2階建ての建物を造り、その2階部分でころ柿作りが行われていました。 庭先でころ柿を作られているお宅が多いですが、2階建ての建物の2階部分でころ柿を作られているお宅も随分見かけました。
恵林寺参道
関連のホームページ 甲州市観光協会 ころ柿の里 塩山 ころ柿の里を訪ねて その2へ 風来坊