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龍馬流色々  ダック  


 朝日新聞が西暦2000年の年間企画第1回で西暦1000年から、1999年迄の間に日本史に登場した、最も好きな政治リーダーの投票を行った所、第2位の徳川家康、第3位の織田信長を抑えて坂本龍馬が第1位となった。リーダーシップの面だけを採り上げると異論があるやも知れぬが龍馬人気の根強さを示している。

 龍馬については全国各地に50を超える会や関連の集まりが活動しており、私も会員となっている東京龍馬会は会員数450名近くを擁し、今年は11月4日、5日に高知市の共催や各地の龍馬会の協賛を得て、東京で第12回の全国龍馬会を主催する予定である。この幅広い龍馬人気の秘密はどこにあるのだろうか。

 龍馬の名を国民的レベルに広めたのは、昭和38年より昭和41年にかけてサンケイ新聞に連載された司馬遼太郎さんの長編小説“龍馬がゆく”であるが、その後日本史の奇蹟と言われる龍馬については多くの歴史家、作家だけでなく経営学者等の文献も多い。龍馬人気を支える龍馬流の色々について思いつくままに拾い出してみた。


 “龍馬がゆく”を貫く龍馬流の基本は時勢を読み流血を避けつつ粘り強く、回天につないで行く事で薩長連合、大政奉還との関わりはその代表的な事象である。しからばこの龍馬流につながるものはどこにあるのだろうか。

 まず先天、後天を問わず龍馬が持っている自由奔走な楽天性と融通無碍さと併せ、粘り強い合理性の追求がある。土佐藩は戦国時代の四国の覇者長宗我部家が関ヶ原で西側についたため、徳川時代になって遠州掛川より転封となった山内家に支配され、長宗我部配下にあった家臣は過酷な弾圧を受け続けた。山内配下の上士でなければ人にあらずという政治的二重構造の下で幕末を迎える訳で、強力な外様として独立性を維持してきた薩摩や長州とは異なった特異な状況にあった。下士に属する郷士に過ぎない龍馬が脱藩という形をとった事の理由ともなっているし、それが藩にとらわれない発想にもつながっている。

 当然土佐の気質として知られている“異骨相(いごっそう)”も龍馬の性格の一端を構成しているが必ずしも土佐気質を代表している訳ではない。寧ろ龍馬の生まれ育った本家才谷家の環境の影響が大きいように思われる。龍馬は豪商才谷家の分家坂本家の5人兄姉の末っ子に生まれ女性に囲まれ、結構自由な雰囲気の中で成長した。土佐の女性気質“はちきん”で男勝りの姉乙女は、龍馬の性格形成に大きな影響を与えたと言われている。余り知られていないが、回漕店であった継母の実家への出入りが、その後の海への関心のベースになっている事も無視出来ない。

 龍馬は上京し、千葉周作の弟に当たる定吉の道場で剣術の指導を受けるが、脱藩後は全国各地を奔走しながら多彩な人間関係を築くと同時に、色々な人物同士をつなぎあわせて行く。勿論相性はあろうが、誰にでも胸襟を開き・開かせる独特な性格を有している。

 新人物往来社編で、“物語 龍馬を愛した7人の女”という本があるが、この帯には龍馬式恋愛指南書・・・・女に惚れられる男だけが大きな仕事が出来るとあり、龍馬は女性を好ましくは思っても惚れないという距離感を維持しつつうらやましい様な持て方である。土佐藩の家老である福岡家の娘田鶴、千葉道場の娘佐那、寺田屋事件で急接近し妻にしたお龍との付き合いは、司馬さんの小説でもかなりのページが割かれて女性関係龍馬流として味わい深い。

 時勢を計りながら利害を持ってつなぎを付けて行く考え方は、重要な龍馬流で薩長連合はその代表的な事例であり日本最初の商社と言われる亀山社中、後の土佐海援隊も当時としては斬新な発想であった。龍馬の活躍につながる最も重要な出会いは勝海舟であるが、勝大学学長は全国各地の教授陣を次々と龍馬に紹介したという司馬さんの指摘は面白いし、教育の在り方としても参考になる。勝の紹介の有無は兎も角、土佐の画家河田小流をスタートに越前の松平春獄、外国奉行の大久保一翁、西郷隆盛、桂小五郎、肥後の横井小楠等枚挙に暇がない。

 各地を奔走し本を読んだりする暇等無かったのではないかと思うが、行く先々で一流の人物と会い集中して学んで、移動中に日本のグランドデザインを構想したとすれば、思いがけない事が龍馬流につながっている理由が理解出来る。龍馬の遺言状と言っても良い“船中八策”は“大政奉還の建白”の起案となり明治維新の綱領“五箇条のご誓文”につながっている。

 龍馬流の大きな魅力に公的な論理追求がある。脱藩浪人龍馬は、たえず土佐藩の枠を超えた日本のあるべき姿を頭に描いていた。故小渕首相は大の龍馬ファンであり、東京龍馬会の会員でもあった。平成8年11月の東京龍馬会第10回記念総会にも出席・挨拶されたが、まさか首相になられるとは想像しなかったし、小渕像と龍馬像が重なる部分はそう多くはない。しかし小渕さんが惚れられた龍馬の一つに、私を捨てて公に殉ずる姿があった事は事実ではないだろうか。情報学については龍馬流と共通する面もある。

 PHP文庫に土佐郷土史家の宮地佐一郎さんが龍馬の全書簡を集めた“龍馬の手紙”という本がある。全国を駆け巡りながら姉の乙女等に書き送った手紙は、龍馬の人柄が行間に溢れている。また、司馬さんの小説ではリスクマネージメントとは程遠い無邪気・無鉄砲な行動が描かれているが、傍ら結構きめ細かい配慮も読み取れる。作家の津本陽さんは手紙の文章から、龍馬の魅力ある性格と頭の良さが解ると指摘している。歴史作家の加来耕三さんは、龍馬は理科系の頭脳の持ち主で、剣術よりも操船術や砲術等の専門能力に秀でていると言うが、剣客より似合いそうな雰囲気もあるし、かねてより強かった海への関心を世界にまで広げた、勝海舟直伝の航海術は龍馬の活動の大きな柱となっている。

 この夏我が家に楽しい事が起こった。何がきっかけになったのか知れないが、電子工学のエンジニアである長男から“龍馬がゆく”を読んでいるが面白いぞと言ってきた。私は今年は11月に全国龍馬会もあるため20年ぶりに読み返していたので、偶然重なった訳である。この長編を読むのが連れ合いと学生の次男に迄広がり、家族全員が一挙に文春文庫8巻(元々単行本では5巻であるが)を通読する事となった。家族全員が共通の長編を読むのは10年以上前の、横山光輝さんの書かれたマンガ“三国志”60巻以来である。三国志では国の興亡の中での男達の生き様に引き付けられたが、今回は色々ある龍馬流の何かに惹かれたのであろうか。

 冒頭紹介した東京龍馬会は“講演会”“史跡探訪”“龍馬タイムズ発行”を活動の三本柱にしているが“龍馬をご縁に出会いを楽しむ”をモットーにしており、医師でもある田村会長の設立理念は龍馬流人間学・人間関係そのものである。この会の史跡探訪で訪ねる関東地区に加え京都・長崎・山口・鹿児島・高知・神戸等龍馬を辿って各地を訪ね、龍馬流の地域展開に触れるのも楽しい事である。龍馬流は色々な面を持っている。龍馬への憧れは龍馬に擬する事もさる事ながら、多彩な龍馬流の一端に触れる事であり、その魅力は尽きる事がない。

 全国龍馬会のパンフレットに夫婦で“時勢読み流血避けつつ大きな変革平成の暗雲晴らす龍馬流”という名刺広告を出した。私は生まれは台湾であるが、岩崎弥太郎の生家のある高知県の安芸市で育った。ご当地の育ちという点では、龍馬流の中の土佐流についての理解度は若干深いかも知れない。

                                   ダック


 この「龍馬流色々」はダックさんが東京龍馬会の会報誌『龍馬タイムズ』に寄稿された記事です。ダックさんの御厚意により、このページで紹介するものです。

 
龍馬関連のHPの紹介

   高知県立坂本龍馬記念館

   

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